生きていかなきゃならないね。
コロナも大雨ももううんざり。
チャンスさえあれば太陽にあたってかなり前向きに生きているつもりだけど。
ずっとずっとこの状況だと身体の一部がずっと削り取られている感覚。
だけど、笑っていられるように工夫して気持ち切り替えていかないとね。
ところで、全然関係ないんだけど…ずっと言いたかったことがあるんだ。
私は、今までやって後悔したことよりも、やらなくて後悔したことの方がものすごく大きい。
私という人間は受け身で、好きなもの嫌いなものが自分であまり理解できていなくていつも周りに翻弄されていた。
だから、高校生の時に留学しようと考えた時も先輩に「はっきりした目的がなかったら意味ないと思うよ、英語はツールでしかないから」って言われてやめてしまった。
そうかもな…って思って言い返せなかった。
東京に出て来た時は友達に「何が好きかはっきり見えない、そのままじゃ成功しないと思う」って言われてショック受けたけれど、私は私なりにやってみたいという感覚があったから出て来た。
確かに、その子の言う通り特別何か成功したと言えるものは無いかもしれない。
でも、私は出て来て良かったと心の底から思っている。
私が本当に欲しかったのは、最初っから世間一般に言われる「成功」ではなかったんだと思う。
「自分らしさを取り戻すこと」が私の目的だったんだから。
私は流れ流されて色んなことを中途半端にやって辞めてみたりしつこくやり続けてみたり。
人に影響されながらも、自分の譲れない部分があったからそれに身を任せて生きて来たから、どんな結果も受け入れられたんだと思っている。
私は常に流されながら、自分の意志で決めてきたんだと思う。
もう取り戻せない高校時代の決断は、もちろん行かなかったから今があるのかもしれないとも思うけれど、あの時には決して戻れない。
だから、何が言いたいかと言うと、目的や好きなこと嫌いなことがはっきりしていなくたって、感覚的に望んでいるのなら実行してしまった方が良い場合が多いんじゃないかな?ってこと。
もちろん、若くして何が自分のやりたいことかが見えている人は素晴らしくて、それに対して必要なことも明確に見えてくるから確実に積み上げて成功できる可能性が高い。
だけど、それ以外の人はダメか?と言われれば、もちろんダメじゃない。
やりながら、いろんな人や物に出会いながら見つけていくこともたくさんあるから。
だから、どこかに衝動があるうちはどんどん行動に移していくべきだと思う。
私はそれが少し足りなくて、でも少しはあったんだ。
だから、今までの私を眺めてものすごく納得している。
良くも悪くも。
私のブログを読む人は世の中に殆どいないことも知っていながらだけど、もし何かに迷って周りの意見に抑圧されてやめてしまおうかと悩んでいる人がいたら…
是非、それを蹴っ飛ばして飛び出して欲しいなってことです。
人は無責任に発言してあなたの人生を狂わせますから。
逆に救ってくれることもたくさんあるけどね。
自分を知っていて意見してくれる人の言葉は有り難く聞いてください。
でも、一番聞いてあげなきゃならないのは、自分自身の気持ち。
それさえできれば、きっと後悔が少なくて、笑顔が増える毎日だと信じています。
自己責任で動いたら、結果的に楽だもんね。
とはいえ、今もまだまだ私は昔のまんまの私、日々要らんことを考え過ぎては反省してるんだけど。
皆さんの明日がきっと良い日であるように、今日の残りの時間を笑顔で過ごせますように。